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2016.11.30

向井理は「主体性がない」!?俳優デビュー後10年を振り返る

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「この仕事を10年くらいやってきましたが、今年はこれまでにまいた種を回収できたと感じています」。連続ドラマの劇場版映画『RANMARU 神の舌を持つ男』(12月3日全国公開)に主演する向井理は、2016年をしみじみと総括する。
2006年の本格的デビュー後、連続ドラマ、映画、そして舞台と活躍の場を広げ、今も定期的に主演作が製作される堅調ぶり。俳優の世界は夢を与える煌びやかな一方で、競争は激しい。同時代を走っていたとしても、今はいない俳優仲間も少なくない。向井はなぜ競争を勝ち抜き続けて、生き残ることができたのだろうか。

「運」がないと出会いがあっても掴めない

「今振り返ると、これまでの仕事は“運が良かった”ということの積み重ねだと思います。無名時代なんて特にそうです。顔も名前も知らない俳優を起用するのは“なんとなく面白そう”とか“原作のイメージに合っている”程度。だから何よりもまずは運。運がないといい出会いがあっても掴めない。その出会いからまた別のところに派生していることも多いですね」と経験を語る。

その運をふりかけてくれた監督に徹底的についていくのが、俳優としてのスタンス。
「僕は自分の色で作品を引っ張るのではなく、監督の色を出すためにはどうすればいいのかを考えるタイプ。その姿勢を主体性がないという人もいるし、好き嫌いもあるでしょう。でも僕は監督の話をしっかりと聞いて、それを正しく理解し、表現するのが一番大事だと思うんです」。自我を押し通すのではなく、監督の形にはまり何色にも染まる。主役でも脇役でも変わらない。その信念が信頼の蓄積になった。

デビュー10年を過ぎた今年は、全ての現場において“お久しぶりです”が合言葉に。「これまでは必ず『初めまして』があったのに、今年は『お久しぶりです』という入り方が多かったですね。朝ドラもそうですし、舞台もそう。かなり久しぶりに会った方もいれば、2ヵ月前に初めてご一緒した方がまた呼んでくださったり。自分としては面白い年になったと不思議な感慨があります」。

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脚本を読むときは常に「初めまして」

再会は成長を促す。「再び呼んでいただけるのは当然嬉しい事ですが、その反面前回を超えなければいけないというプレッシャーがあります。成長を見せなければいけないし、『こういう役はできないんだ』と思われたらダメ。自分としてはまだまだ足りていない部分もありますし、やりたいこともたくさんあります」と上限は決めたくないし、決められたくない。

時に焦ることもある。負荷もかかる。しかしそんな時に思うのは「新人でもベテランでも、初めて目にする台本を覚えるという作業は、いつになっても変わらず大変な作業ということ」と笑いながら「覚えることに技術や職人的な技があるわけでもない。だから新しい本に目を通す時は“初めまして”。そこに“お久しぶり”の馴れはありません。経験値の蓄積は増やしつつ、謙虚という初心は忘れず。それはこれからも続けていきたいですね」。運はふりかかるものかもしれないが、それを掴み取るための筋力を鍛える方法は必ずあるのだ。

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堤幸彦監督のアソビに応える現場

『RANMARU 神の舌を持つ男』の正式タイトルは、『RANMARU 神の舌を持つ男 酒蔵若旦那怪死事件の影に潜むテキサス男とボヘミアン女将、そして美人村医者を追い詰める謎のかごめかごめ老婆軍団と三賢者の村の呪いに2サスマニアwithミヤケンとゴッドタン、ベロンチョアドベンチャー!略して…蘭丸は二度死ぬ。鬼灯デスロード編』と、ギョッとするほど長い。

だが堤幸彦監督とはこれまで何度も顔を合わせている向井は「堤監督のお遊びに対する免疫は連続ドラマの際に十分過ぎるほどついているので、それを聞いた瞬間に“また面白くふざけているなぁ”と納得。さすがですよね」と慣れた様子。
その遊びに向井も乗りに乗った。「セリフが急に英語に変わったりする。その枯れない発想が凄い。それに対して『何故ですか?』『無理です』とは言いません。言われたらすぐに実行するだけ。堤監督が喜んでくれたらそれでいいという状態で、掴みどころのない発想を面白がって作り上げていきました。堤監督が笑いながら『カット!』と言ってくれた時はもう、してやったり!でしたね」。10年以上経った今も、向井は俳優業を真面目に楽しんでいる。

(石井隼人)

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