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初めての映画は性格が変わるほどのインパクトだった―『牯嶺街少年殺人事件』主演チャン・チェンインタビュー |dメニュー映画×コラミィ

    取材・文=新田理恵/Avanti Press

    1991年に公開された台湾映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』は、世界の映画人や映画ファンに影響を与える“衝撃”だった。台湾ニューウェイブを代表する存在であり、2007年に59歳という若さで亡くなったエドワード・ヤン監督の最高傑作と言われる本作。3時間を超える長尺でありながら、一切無駄のない映像、音、人物の表情で観客を引き込み、一人の少年とその家族という小さな世界を通して、物語の背景にある台湾全体の“気分”までも味わわせてしまう、まさに誇張なしに「傑作」と呼べる一本だ。

    そんな『牯嶺街~』が四半世紀を経て、現在リバイバル上映されている。主役を演じたのは、撮影当時14歳だった張震(チャン・チェン)。アジア映画ファンでなくとも、サントリーウーロン茶のCMや『レッドクリフ』シリーズでご存じの方も多いかもしれない。今回、デジタルリマスター版公開にあわせて来日したチャン・チェンに、自身の俳優人生の原点となった『牯嶺街少年殺人事件』について、そして彼を映画の道に導いたエドワード・ヤンの凄さについて語ってもらった。

    俳優を続けることを運命づけたシーン

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    『牯嶺街少年殺人事件』(c)1991 Kailidoscope

    『牯嶺街少年殺人事件』の舞台は1960年代の台湾。チャン・チェン演じる少年・小四(シャオスー)の家族は、1949年の中華人民共和国成立の前後に、共産党に敗れた国民党とともに大陸から台湾に渡った「外省人」だ。大陸へ帰ることを夢見ながら、台湾での厳しい暮らし向きと、叶えられない大陸へ帰るという夢の間で焦燥感を募らせる大人たち。親世代の不安を感じ取り、小四ら少年たちも徒党を組んで脆い心を懸命に守っている。そんな小四の心の闇が、やがて悲惨な事件に発展していくのだが……。エドワード・ヤンはこの小四という難しい役柄に、演技経験がほとんどなかったチャンを大抜擢。彼は大役を見事に果たしてみせた。

    *       *

    Q.小四は非常に複雑な心理状態を抱えた少年です。エドワード・ヤン監督は、どうやってあなたをあの役に入らせたのでしょうか?

    チャン・チェン(以下、チャン):『牯嶺街少年殺人事件』にとっては、ヤン監督自身が一番のロードマップのような存在でした。なので、基本的なお芝居の訓練をした後は、シーンに合わせていろいろ違う方法で監督の演出を受けるという感じでした。

    Q.本作は、1961年に実際に台北で起きた少年によるガールフレンド殺人事件をモチーフにしています。撮影当時14歳だったあなたにとって、人を殺める心理を理解するというのは難しく、ある意味残酷な作業だったのではないでしょうか? 

    チャン:実はあまりいろいろ考えていませんでした。もちろん殺人者の心理を理解するのは難しいことですが、小明(シャオミン)を刺すシーンを撮ったのは、もう数ヵ月も撮影をした後だったので、僕は既に自分と小四(シャオスー)の境界がわからなくなっていました。あの場面はすごく印象に残っていて、その後僕が俳優を続けていくことになるきっかけになった大事な芝居でもあります。あの時、あの少年は僕ではなかった。でも同時に僕だったのです。その感覚がとても面白くて、自分自身「役になれた」と感じました。

    性格が変わるほどのインパクトだった小四役

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    『牯嶺街少年殺人事件』(c)1991 Kailidoscope

    Q.『牯嶺街~』に出演して性格が変わったと聞いたのですが、本当ですか?

    チャン:本当です。出演前は活発だったのに、小四の影響で無口で内向的になりました。今はもうお芝居と現実をしっかり分けられるようになりましたが、 『牯嶺街~』は初めてだったので。

    Q.フィルモグラフィを拝見すると、内面を表情で表現していくような作品が多いですよね。その後の作品選びに『牯嶺街~』出演の影響はあったと思いますか?

    チャン:多かれ少なかれありますね。たぶん、ホウ・シャオシェン監督の影響も受けていると思いますが。でも、僕自身そういうお芝居が好きなんだと思います。

    Q.俳優として最初に演技指導を受けたのがヤン監督だったということは、その後のお芝居のやり方に何かしら影響を与えていますか?

    チャン:芝居のやり方への影響というより、演技のトレーニングの機会を与えてもらって、俳優としていいスタートを切ることができたなと感じています。