「勝ちてえ…」
今から2ヵ月半ほど前、磯村亮太は呻いた。ホームでのヴァンフォーレ甲府戦を前にして、「指なんて一生曲がっててもいい」と言った後の本音だった。文字にするとやや乱暴にも聞こえるため、当時は語尾を少し直してお伝えしていたが、磯村の偽らざる本心を吐露した言葉としては、こちらの方が正しい。勝利に、勝点に飢えていたチームの中で、育成からの生え抜き最年長はこの上なく悩み苦しんでいた。
口を開けば「危機感」という言葉が口を突いて出てくるような苦しい日々。しかしそれも今や過去の話になりつつある。まだ決して予断を許すような状況ではないが、少なくとも今チームは残留圏にその身を置き、自らの手でJ1残留を決められるところまでは辿り着いた。試合ごとに充実度を高めるチームの中で、磯村もまたその存在感を着実に高めてもきている。
だからこそ、確かめてみたかった。あの悲壮感は、危機感は今はどのように変質しているのか。安心などしていないことはわかっている。それでもあの時、誰よりも早く、そして深刻に事態を感じ取っていた男の心情の変化は、どうしても気になった。
「今も危機感がなくなったわけではないけど」と磯村は言う。
「あの時は何というか、何をやってもうまくいかなかったところはありましたよね。今はチームとして結果が出始めたこともあるけど、あの時期はみんながすごく頑張っているのに、それがチームとしてのパワーにできていなかった感覚があります。見ている人にもそれは伝わってなかったような気がしますし、でも選手一人ひとりの頑張りはすごかった。でも、伝えられなかったんです。それに、あの頃はまだ本気でヤバいと思う人も少なかったかもしれない。今は現実にヤバい状況ですから」
名古屋はもがいていたのだと改めて気づかされる。そこから指揮官が代わり、「これでダメなら監督が悪い!」という明確な拠り所ができたチームは、田中マルクス闘莉王という“救世主”を得て上昇気流に乗った。磯村はストイコビッチ監督時代から「イソはサイドバックがいい」と当時のジュロヴスキーコーチに素質を見出されていたDFラインでの奮闘が続くが、「勝ちてえ」の精神がほとばしるような鬼気迫るディフェンスに軸足を置いた、頼もしいプレーを見せてくれている。
今季、磯村は「自分の非力さを思い知らされます」とも語っていた。しかし今は例えば福岡戦を振り返り、「紅白戦でクロスからやられていたところを試合でうまく修正できた」と手応えを口にするまでになった。少なくとも今は、チームを支える実感が彼にはある。あるいはジュロヴスキー監督は、磯村の痛々しいまでの危機意識を買って、責任あるDFラインの一角に据えているのかもしれない。
「あと3試合しかないです。そこで全てを出し切って、悔いのないように戦わないと。それに向けてキャンプではしっかり準備しないといけません。今ならチームは、力を出し切れるはずです」
勝利への渇望とは闘莉王に良く似合う言葉だが、今の磯村もまた、この言葉が良く似合う男となった。
【今井雄一朗(赤鯱新報)】いまい ゆういちろう。1979年生まれ。2002年に「Bi-Weeklyぴあ中部版」スポーツ担当として記者生活をスタート。同年には名古屋グランパスのサポーターズマガジン「月刊グラン」でもインタビュー連載を始め、取材の基点を名古屋の取材に定める。以降、「ぴあ」ではスポーツ全般を取材し、ライターとしては名古屋を追いかける毎日。09年からJリーグ公認ファンサイト「J’s GOAL」の名古屋担当ライターに。12年、13年の名古屋オフィシャルイヤーブックの制作も担当。