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「できることは何でもした」J3大分FW後藤優介が到達した初の2桁ゴール|コラミィ× スポーツ

     

    「迷いはなかった」。シュートを打った瞬間は覚えていないようだが、松本昌也からパスを受けた瞬間に、後藤優介にはゴールまでの道筋が見えたという。J3第24節大分トリニータvs鹿児島ユナイテッド戦(○1-0)の決勝ゴールである。トラップからシュートコースを空けるための一連の流れから右足を一閃。美しい軌道を残し、右ゴールサイドに吸い込まれたーー。自身初となる2桁ゴールはこうして生まれた。

    カテゴリーは異なるが、大分としては2012年の森島康仁(磐田)、三平和司が14得点を記録して以来の2桁ゴールとなった。九州プリンスリーグの得点王としてユースから初のFW選手としてトップ昇格したのが4年前。スピードを生かした仕掛けとゴール前での“シュートセンス”を特徴とする選手だった。

    しかし、結果を残せず1年目の途中にJFLのHOYO大分に期限付き移籍に出される。翌年に復帰したが苦悶の日々は続く。ゴール前に飛び出す駆け引きは天性のものがあったが、フリーでボールを受けたシュートがことごとくGKやポストに当たる。ユースの頃は簡単にゴールを決めていたのに何が問題なのか。一昨年はパーソナルとレーナを雇い肉体改造に挑戦した。昨年はメンタルトレーナーを雇い改善を試みた。「できることは何でもした」。自ら殻を破ろうとする姿勢が、ようやく成果として現れた。

    「悩んだ時期は苦しかったが、結果が出て良かった」と涙を浮かべる。鹿児島戦後にチームのバスに乗り込む後藤の片手にストレッチポールがあった。丸谷拓也(2012、2013年大分に在籍)に勧められ試合前のストレッチを今も続けている。小さな積み重ねが大きな大輪の花を咲かせる。今季は毎食後に「フルーツと乳製品を摂るようにしている」ようだ。最近のお気に入りはグレープフルーツ。「(グレープフルーツの)あの苦みが好きなんです」。
    苦しかった時期を乗り越えて今がある。

    【柚野真也(trinita eye)】ゆの しんや。1974年、大分県大分市生まれ。大学卒業後、専門紙の記者として活動。その後、フリーランスのライターとして活動を開始。JリーグからFリーグ、バスケットボールのbjリーグなど、九州のスポーツシーンを数多く取材。「週刊サッカーダイジェスト」、「J2マガジン」「九州Jパーク」などサッカー専門媒体や、朝日新聞大分頁で毎週土曜にスポーツコラムなど執筆している。