サッカーと不可欠な存在「サポーターソング」についての一考察|コラミィ× スポーツ

サッカーとサポーターというのは切っても切れない関係だが、やはりV・ファーレン長崎で「サポーター」という存在が一気に大きくなったのは長崎がJリーグに参入した2013年だろう。そのときに初めて応援というものを体験した人が多いのではないだろうか?そこで、今回は少しサポーターや応援についてアレコレと散文的に書いてみたい。

冒頭に書いたとおり、サッカーと不可分と言って良いサポーターだが、サッカーが誕生したときに、周辺で応援していた人たちがいたと考えると、その起源はサッカー発祥と同時と言って良いと思う。一方で、多くの人がイメージするような「チャントやサポーターソングを歌う」というスタイルは、1950年代にイングランドで広まったとされている。その前提には、ヴィクトリア朝時代(ヴィクトリア女王がイギリスを統治した1837年~1901年)、の試合前に歌の斉唱がおこなわれていたことあり、これが一般に広まったあと、ワールドカップを通じて南米に伝わり、それぞれの国の影響を受けたスタイルがイングランドに逆輸入されて確立されたとされる。その中心となったのがイングランドのリバプールサポーターで、彼らが試合中のムードにあわせて歌うようになった1960年代のスタイルがスタートと言っていいだろう。

基本的にはサポーターソングには「チーム・クラブに対する忠誠や信頼」「非難」「侮辱」「威嚇」「抗議」「雰囲気作り」といったものに大別される。長崎の場合、『ナガサキ、オーレ』は、長崎としてみんなで戦おう的に雰囲気を作るための「雰囲気作り」、『俺たちを知ってるか、長崎を知ってるか』などは、本来は相手に対しての「威嚇」の意味と言ってよく、『俺ら、みんな歌い続ける。お前たちと共に戦うぜ』は「チーム・クラブに対する忠誠や信頼」だ。基本的に長崎に限らず、近年のサポーターソングで「非難」や「侮辱」は少ない。これは日本の特徴であり、ストロングだと思うので、長崎でもそうあってほしいと思う。

と今回は、サポーターソングやチャントについて書いてみたが、週末に歌っているサポーターソングを「どういう意味合いがあるかな?」と考えてみてはどうだろうか?

【藤原裕久(ViSta)】ふじはら ひろひさ。長崎在住のスポーツライター。V・ファーレン長崎オフィシャルライター、Jリーグ登録フリーランスとして、クラブ公式サイトやホームゲーム時のマッチデイプログラム、サッカー専門誌などに寄稿。V・ファーレン長崎に関してはクラブ発足から関わっている。