『恋人たち』で日本アカデミー賞新人俳優賞、キネマ旬報新人男優賞に輝いた篠原篤
文=皆川ちか、撮影(篠原篤)=河西隆之
映画『恋人たち』の主人公アツシ役で、日本アカデミー賞新人俳優賞、キネマ旬報新人男優賞など、名だたる映画賞の新人賞を受賞した篠原篤。新人とはいえ当時すでに32歳。それまで特に目立った出演作も、所属事務所もない、世間から見れば文字通り無名の俳優だった。そんな彼が、いかにして『恋人たち』の橋口亮輔監督の目に留まったのか。そして脚光を浴びている現在の自分をどう受け止めているのか、心境をうかがった。
――『恋人たち』での数々の受賞、おめでとうございます。
ありがとうございます。ですが僕個人の力ではなく、橋口亮輔監督はじめスタッフ、キャストの全員で賞を獲ったのだと思っています。受賞のお知らせをいただく度に、心の中で皆さんに「おめでとうございます」と語りかけました。「シノ(篠原)から役者として出せる力の限界を俺が引き出す」と、撮影前に監督は仰っていたのですが、それに応えることができたようでもあり……うれしいですね。
――橋口監督との出会いは、『恋人たち』以前のワークショップだそうですね。
約3年前のことです。当時の僕は役者としてなかなか芽が出ず、オーディションやワークショップへの参加も次第に途切れがちになっていって、くすぶっていたんですね。そんな時、あるワークショップで橋口監督が講師をされると聞いて参加しました。
『恋人たち』の橋口亮輔監督
©松竹ブロードキャスティング/アーク・フィルムズ
――どんなワークショップでしたか?
最初の自己紹介からして印象的でした。まず監督が、自分はこういう人間で、これまでこういう映画を作ってきて……と、とても一所懸命に自分のことを話してくれたのです。自己紹介というのは、プロフィール紹介ではない。自分自身を、自分自身の言葉で相手に伝えることなのだということを、まず教えられました。正直な方だと思いました。こんな正直な方の前では、自分も正直にならなければいけない。そうでないと向き合えない、と。そして、「きみが自分では欠点と感じているかもしれないことが、俳優としては魅力となっていることもある」というご指摘をいただきました。当時の監督は表舞台から遠ざかっていた頃だったので、ひょっとしたら僕たち参加者と似ている状態にあったのかもしれません。無我夢中で行き場のなくなった役者たちと、長く苦しい時期から立ち上がろうとしている監督の状況が。
――その後、中編映画『ゼンタイ』、そして今回の『恋人たち』へと、橋口映画に出演されていきます。篠原さんの演じたアツシは、橋口監督自身を投影した役柄とのことですが。
そのプレッシャーは半端なかったです。自分は器用なタイプではないし、俳優のなかには全くの別人に変身するのが快感という方もいらっしゃいますが、僕はそうではありません。自分に備わっているものと、監督が自身を投影させたものを組み合わせて、アツシというひとりの人間を形づくっていきました。劇中でアツシが体験することや、彼が語るいろいろな思い出。それらは監督と僕の実体験に基づいています。
『恋人たち』
©松竹ブロードキャスティング/アーク・フィルムズ
――撮影中はアツシの部屋であるアパートに、実際に寝泊まりをされたそうですね。
それもまた、アツシになるために必要なことでした。スタッフの皆さんの協力があってこそできたことです。プロデューサーの深田(誠剛)さんは制作現場の全体をコントロールしてくださって、小野(仁史)さんとは二人三脚の感じでした。撮休の日には、僕がへたばっていないかどうか生存確認の電話をかけてくれました(笑)。共演の黒田大輔さんからも、たくさん励まされました。劇中のアツシと、その上司の黒田さんの関係そのままに、僕が「しんどいです」と漏らすと、「大丈夫だよ、なんとかなるよ」と、いつも仰ってくれて。アツシと黒田さんが会話をするくだりは、橋口監督がご自分と深田さんとを当てはめて書いた場面のはずなのに、僕たちもいつしか同じようになぞっていたのです。
――映画が完成した今は、どのような心境でしょうか。
アツシを演じながら生まれていった悲しみや怒り、苦しみは、まだ自分の心の底に“後遺症”のように残っています。だけど、映画でも描かれていますが、生きている限り苦しみや悲しみはつきまとうものです。僕自身に照らし合わせてみると、役者として売れなくてアルバイトもしていた20代の頃は苦しかったです。郷里の家族に顔向けできないのも苦しかった。橋口監督と出会って、『恋人たち』に出演していたときもすごく苦しかった。自分の限界を超える芝居をするということが、あんなに苦しいものだとは知りませんでした。いろいろな賞をいただいたことで、俳優としてこれから生きていく上で、いい加減なことはできない、という責任が生まれたように感じられます。それはきっと今後の苦しみにつながっていくとも。
――苦しみは続くのですね。
そうですね。形を変えて、ずっと。でも、アツシのように、僕も苦しみながら生きることを肯定してみようと思います。そうすることで人生は更新されていくのですから。最近、橋口監督とよく「人生って、ふしぎだね」と語り合ってるんです。「俺もきみも、よくここまで戻ってこられたし、よくここまできたよね」と。監督は自分が苦しかったからこそ、僕らの苦しみを雑に扱わなかった。そんな、苦しみの中から生まれたこの映画が、こんなにも多くの方に見てもらえたこと、賞をいただけたことは、なによりの励ましであり、救いであり、役者冥利に尽きます。心からうれしいです。
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自己紹介のくだりについて語るのと同じく、インタビューに対しても、ひと言ひと言じっくりと考えて、自分自身の言葉で一所懸命に応えてくれる人……という印象を受けた。篠原篤を想定して、“当て書き”で描かれたアツシの部分が透けて見える瞬間もあり、アツシが彼の中に血肉となって残っていることがうかがえた。役柄と自分を、限界を超えて、苦しみと共に一体化させる――それを成しえた彼の姿が、かくも多くの人々の心を掴み、彼を新人賞へと導いたのだろう。